農と農業
「農」という文字。
この「農」には、どんな意味が込められているのでしょう。
「農業」「農園」「酪農」など農が使われている言葉には、そこで食物が生成されるため、“食”が関連しています。そこから、人が生きていくうえで必要な食糧を生産・維持することを意味しています。私が思う「農」とは、「生きていることを実感するための行い」だと感じています。農業や営農といった職業や生業としての認識とは違い、「生きる」という意味を探す生き方のことだと思います。実はこの一文字に、これからの生き方のヒントを見つけました。
「半農半 X(エックス)」という言葉をご存知ですか。
自分たちが食べていくだけの小さな農業をしながら、自分の好きなこと・やりたいこと(X)を両立させ、趣味や副業といった位置付けではなく、農業を生活の一部としていく生き方です。「生活費を稼ぐだけの生き方ではなく、好きなこと、大切だと思う事をしながら暮らしたい」という考えや価値観の元で、収入が減少しても、農業を通して心豊かな暮らしをおくりたい人たちから共感を得ているライフスタイルです。
半農半 X には、一日のうち半日を農業、半日をやりたいことに充てるといった決まりはありません。「一日のうち、朝起きて、家庭菜園で育てている苗に水をやる。後は、自分のやりたいことをやる」。これだけでも、立派な半農半 X という生き方を実践していることになります。この言葉を知らずとも、無自覚のうちにこのライフスタイルを送っている方もいるかもしれません。
実は、この言葉自体 90 年代半ばに既に生れていて、決して新しい生き方や考えではないのです。現在までの約 20 数年の間、何故このようなライフスタイルへの関心が、若者やメディア含め、多くの人間へと届いていないのでしょうか。改めて、私たちが生きている理由を考えてみると、農業や漁業、林業といった第一次産業のおかげで、私たちは食べ物を食べて生きられています。そもそも、常日頃から食べ物を口にしている、すなわち「食べなければ生きていけない」ことを考えている人はなかなかいませんよね。そのため、私たちは毎日を生きていくことが当たり前になっているのです。
明日何をするか、何をしなければいけないのか。明日に限らず、一か月後、一年後の予定など、生きることを前提として生きています。明日をどう生きるかだけを考え、今日生きられたことを実感している人は、今どれほどいるのでしょうか。確かに、毎日そんなことを考えて生きるのは大変です。それよりも、明日の楽しいことを思いながら一日を終えた方が、断然生きることに前向きになれますよね。
しかしそんなある日、「明日から食べ物を買うことが出来なくなる。自分の食べ物は自分で作らなくてはいけない」という状況に陥ったとしたらどうでしょうか。その時、今の生活が如何に他の人の力で生かされているかを実感するのです。
2020 年現在。私たちの暮らしは、見えない生命体と未来に脅かされています。
「明日から食べ物を買うことが出来なくなる。自分の食べ物は自分で作らなくてはいけない」。こんな状況、これから先あり得るのかと考えていた私たちは、今まさに目の前にその状況を突き付けられています。第三次産業革命によって、農のある暮らしが陰に隠れてしまい、利便性や更なる生産性を追い求めた私たち。そして、続く第四次産業革命時代へと突入する一歩手前の現在の状況の中では、コロナとこれからの AI 化によって職が失われ、益々働く事の意義が問われてきます。
農業は、主に田舎を中心とした生業の一つであるといった印象をお持ちではないでしょうか。もしくは、田んぼや畑がある環境下でないとできないものと考えている人もいらっしゃるでしょう。しかし、現在でも農のある暮らしを必要と考え、新たな価値観を提唱し、声を上げ続ける人々は、農家の方だけでなく、一部の若者や都市部での生活を送ってきた人たちが、今なおその生き方に共感し、実践し、その価値を見出しています。今だからこそ、もう一度、農のある暮らしの意味を探し、見直す時なのではないでしょうか。
そして、農のある暮らしを一過性のブームとして、いずれ過ぎ去っていく追い風のものにせず、私たちの生活に共存するものとして、この暮らし方を続けていかなければいけないのです。自分の食べ物は、自分で作る。
「。。。面倒くさい」
そう、面倒くさいのです。面倒くさくて、手間をかけたとしても腐ってしまったり、実ったとしても味もそれほどのものかもしれません。しかし、そういった経験をすることこそが大事なのです。たった一口で消えてしまう食べ物が、どのような手間をかけて作られているか。それを知るだけでも、農家さんたち第一次産業者のありがたみを実感できたり、食すことの儚さを味わえるのです。家庭菜園の規模から、何ヘクタールの田んぼの規模まで。それぞれ好きな規模間で、好きなものを育てる。「自分で食べるものを育てる」ということの手間と面倒は、何にも代えがたい幸せになります。
趣味や副業とも違う「農のある暮らし」。
これからは、農と共存していくことが、暮らしに豊かさを教えてくれるでしょう。
生きる意味を、自分でつくる時代へ。
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